水戸黄門の最後の地『西山荘』2

キムキムの生まれ故郷の
“茨城県常陸太田市”にある『西山荘』は、水戸黄門こと徳川光國の隠居した場所として有名です。

光圀公は、徳川家康の孫にあたりますが、17才までは不良まがいの生活を送っていたそうです。18才にして文学に目覚め、自らを律していきます。

34才から始まった『大日本史』の編集事業は、代々水戸藩にて引き継がれ、実に250年後の明治39年に完結します。世界中で、これほどの期間をかけて完成した書物はありません。

光圀公(水戸黄門)が実際に日本全土を漫遊することはなく、この地で、元禄11年(1700)に73才で亡くなるまでの10年間を過ごしています。

庶民との交流を楽しみ、贅沢を嫌い、文化的な生活をおくっていました。
 質素な母屋には、釘かくしとして、貝殻が使われている程です。

 

又、光國公は、梅里先生とも呼ばれ、歌や、絵画にも才能を発揮しました。その書も展示してあります。穏やかな、優しいタッチです。(^^)

なお、自ら五千平方メートルの水田を耕し、太田奉行所に年十三俵の年貢を納めていたそうです!(ここが又、何ともスゴイところです。^^)

テレビでお馴染みの「この紋所が目に入らぬか~!ひかえおろ~!」の印籠(いんろう)は、入り口で500円で販売していました。

 

この季節は、レストランのある売店の周りが、菖蒲の花でとてもきれいです。
\(^o^)/\(^o^)/

土日には、演劇なども企画し、駐車場もけっこう混んでます。

 

 

公益財団法人 徳川ミュージアム分館 西山荘

茨城県常陸太田市新宿町590

0294-72-1538

拝観料735円

月曜定休日

宮崎中央新聞ってご存じですか?

宮崎中央新聞は、毎週月曜日に発行される、口コミで広がる新聞です。

購読料は月1000円。

天気予報とか、事件とかのニュースは一切ありません。

ただ、愛情のある社説だけで構成される新聞です。

購読者から紹介されると、1カ月間無料で送られてきて、その後、購読を希望する場合に契約をします。

友人である60代の女性、菅沼さんから「とにかくキムキムにぴったりの新聞だから、紹介しておいたから、読んでみて!」と言われ、間もなく届きました。

それは、たった1枚の大きな白い紙に綴られた、新聞というより伝言板に近い印象のモノでした。

「ふ~ん」軽い気持ちで読み進めると、間もなく涙があふれ出し、止まらなくなりました。

軽い気持ちで、電車の中で読み始めたので、恥ずかしかったことを覚えています。

そこには、感動のエピソードや、心を揺るがす講演会の内容等がびっしり紹介されており、優しさと愛情で埋め尽くされていました。

「現代人は情に飢えている」だから、感動を発信したい!の信念のもと、編集長の 水谷もりひと さんは素晴らしい文章を発信し続けています。

(3カ月に一度、購読料の請求が来ますが、新聞社の社員の方からの手書きの文章が又感動です。)

キムキムの勝手に応援プロジェクトでは、これからも宮崎中央新聞を応援すると共に、学んでいきたいと思います。

見本紙を希望される方はキムキムが紹介します!(^^)/

(ホームページからも申し込みできますが.http://miya-chu.jp/)

こんな文章でいっぱいの新聞です。

今年の6月のある日のこと、小学校1年生の三女、こはるちゃんが学校から帰ってくるなり、嬉しそうにこう叫んだ。「お父さ~ん、今日の宿題は抱っこよ!」

何と、こはるちゃんの担任の先生、「今日はおうちの人から抱っこしてもらってきてね」という宿題をだしたのだった。

「よっしゃあ!」と、平田さんはしっかりこはるちゃんを抱きしめた。

その夜、こはるちゃんはお母さん、おじいちゃん、ひいおばあちゃん、2人のお姉ちゃん、合計

6人と「抱っこの宿題」をして、翌日、学校で「抱っこのチャンピオン」になったそうだ。

数日後、平田さんはこはるちゃんに聞いてみた。「学校のお友だちはみんな抱っこの宿題をしてきとったね?」

するとこんな悲しい答えが返ってきた。「何人か、してきとらんやった」。でも、世の中、捨てたもんじゃない。次に出てきた言葉に救われた。「だけん、その子たちは先生に抱っこしてもらってた」ステキな先生だなあと思った。(「抱っこの宿題」、忘れんでね!/より)

書いててまた涙が止まらなくなっちゃった。(^^)