水戸黄門最後の地『西山荘』 捕捉

キムキムの生まれ故郷 茨城県常陸太田市には、

有名な水戸黄門が隠居した場所『西山荘』があります。

 

その詳細は
水戸黄門最後の地『西山荘』
水戸黄門最後の地『西山荘』2

にて紹介していますが、

実は、あの“助さん”の住居跡も、すぐそばにあります。

 

それは、西山荘へ入る手前の、閑静な湖の奥にたたずんでいます。

湖の脇に木で作った散歩道があり、

そこをすすんでいくと、ひっそりと、住居跡の看板が立っています。

ただ、この湖の静けさと、散歩道の優雅さには驚かされます。

ここは無料にて散歩できるので、かなりのお勧めです。

(ちなみに、格さんの住居あとはありません。(><;)

 

また、常陸太田市は、良質なそば粉が取れることでも有名で、

この売店にあるレストランでも手打ちそばが食べられます。
700円です。かき揚げ付きだと1000円。

(混雑していなければ、手打ち生そばが、その場で購入できます)

ちなみに写真には、こんにゃくの刺身に柚子味噌をかけた名物も写っています。
(キムキムはこれがまた大好きです。)
\(^o^)/\(^o^)/

 

徳川ミュージアム分館 西山荘

茨城県常陸太田市新宿町590

0294-72ー1538

水戸黄門の最後の地『西山荘』2

キムキムの生まれ故郷の
“茨城県常陸太田市”にある『西山荘』は、水戸黄門こと徳川光國の隠居した場所として有名です。

光圀公は、徳川家康の孫にあたりますが、17才までは不良まがいの生活を送っていたそうです。18才にして文学に目覚め、自らを律していきます。

34才から始まった『大日本史』の編集事業は、代々水戸藩にて引き継がれ、実に250年後の明治39年に完結します。世界中で、これほどの期間をかけて完成した書物はありません。

光圀公(水戸黄門)が実際に日本全土を漫遊することはなく、この地で、元禄11年(1700)に73才で亡くなるまでの10年間を過ごしています。

庶民との交流を楽しみ、贅沢を嫌い、文化的な生活をおくっていました。
 質素な母屋には、釘かくしとして、貝殻が使われている程です。

 

又、光國公は、梅里先生とも呼ばれ、歌や、絵画にも才能を発揮しました。その書も展示してあります。穏やかな、優しいタッチです。(^^)

なお、自ら五千平方メートルの水田を耕し、太田奉行所に年十三俵の年貢を納めていたそうです!(ここが又、何ともスゴイところです。^^)

テレビでお馴染みの「この紋所が目に入らぬか~!ひかえおろ~!」の印籠(いんろう)は、入り口で500円で販売していました。

 

この季節は、レストランのある売店の周りが、菖蒲の花でとてもきれいです。
\(^o^)/\(^o^)/

土日には、演劇なども企画し、駐車場もけっこう混んでます。

 

 

公益財団法人 徳川ミュージアム分館 西山荘

茨城県常陸太田市新宿町590

0294-72-1538

拝観料735円

月曜定休日

水戸黄門の最後の地『西山荘』

キムキムの生まれ故郷  “茨城県常陸太田市”は、歴史ある、とても素敵な街です。

もちろん、バッチリ、勝手に応援しちゃいたいと思います!\(^o^)/

 

まずは、『西山荘』から。

…………

キムキムのふるさとには、
水戸黄門が、晩年を過ごした家があります。

『西山荘』と、呼ばれるその建物は、黄門様(徳川光圀)が1700年に亡くなるまでの10年間を過ごし、

著名な歴史書『大日本史』を編集された場所です。

この歴史書を作成するにあたり、日本中の情報が必要でした。

それが、水戸黄門漫遊記のもとであり、

情報を得るために尽力した学者が、助さん、格さんなのです。
(時代劇では、かなりの剣客ですか、あれはドラマの演出です。(^-^;)

実際には、黄門様が日本全土を漫遊することはなく、ここ西山荘にて編集や、高い文化人としての晩年をおくられました。

建物の至るところに、光圀公の人柄や、文化人としてのレベルの高さを思わせる箇所があります。

詳細は次回、紹介していきますね!
今回はここまで。

徳川ミュージアム分館
茨城県常陸太田市新宿町590
0294721538

9時~17時
月曜日定休

 2013201